« 2009年05月 | メイン | 2009年07月 »

2009年06月 アーカイブ

2009年06月24日

こどもの子育て、大丈夫?

kosodate.jpg

 今週号からスタートする「ちょっと からくち TALK」。井上初代さん、桃井真里子さん、上野通子さんの3人に、子育てや女性の生き方などについて語っていただきます。今回だけは3人そろってのトークです。司会は本紙編集本部長の渡辺慶子です。

kakuchi.jpg

渡辺 最近の子育てを見ていて、“これはどうかな…”と思うことはありませんか?
桃井 最近病棟で気になるのは、“人任せ”な行動ですね。看護師がいたら100%看護師任せ。親は子どもの安全に目配りするより、離れて見ている傍観者になっています。一方で、感情面では“過保護”。救急医療の場で重症患者が近くにいても、私の子を一番にみてくださいと言う。行動面では人任せだけれど、感情面では過保護。非常に両極端な家庭が増えたと感じます。
渡辺 上野さんはイギリスで生活された経験がありますが、海外と比べていかがでしょう?
上野 日本人は「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えないんですね。高校生までそうです。何でも自分が一番というイメージがあるので、やってもらって当たり前だから「ありがとう」と言わない。人に何かして自分が悪くても「ごめんなさい」を言わないで言い訳をする。「だって何々なの」「だってこれだからしかたがないでしょ」って。親の哲学が不十分でそだっちゃったのかな。親も「人の子はいいんです。うちの子さえよければ」っていう話し方をすることが多いですね。別に比較するということではなく、学校では集団生活を学ぶことが一番大事なことで、集団の中での一員ということを親も自覚して学校へ行かせた方がいいと思うんです」。
渡辺 家庭ではどうですか?
上野 家族も親子も、みな兄弟のようになってしまった。いい面でもあるけれど、誰もきちんとしたことは言えませんね。
渡辺 井上さんは幼児教育の場が長いですが、最近のお母さんはどうですか?
井上 とにかく今の親は子どもと一心同体過ぎますね。例えば、子どもがどこかに頭をぶつけるとします。それを見ていた親も同じように頭を抱えて「痛い!」って。こんな所にこれがあるのがいけないって言うんです。ブランコを替わってもらえず泣いているわが子を見て、親が同じように涙を浮かべて先生に訴えてくる。子どもへのそうゆう温かい感情も必要ですが、大人になりきれないお母さんや「とにかく自分の子」って抱えてしまっているお母さんたちは、もう少し成長しなくてはね。欲しいと言われればすぐ買ってしまう親も、本当は、誕生日までワクワクして待つ喜びやあれこれ検討する時間を子どもから奪っているんです。
上野 イギリスでは新しい物を買う子はほとんどいませんね。例えば制服の場合、学校でお古を買ってリサイクルして着ます。小学校からそうですから、みんな物を大事にします。タイツは穴が6コぐらいあくまで、自分で繕ってはくとかね。
井上 今のお母さんは、子どもを附属品のように考えて、ひとりの人間として見ないですからね。お洋服もそうです。幼稚園で子どもを滑り台で遊ばせようとしたら、「この服はね、汚しちゃだめなの」って言うんですよ。幼稚園に来るのに、汚しちゃだめな服を着せるなんて。子どもがかわいそう。
上野 ある幼稚園の先生も「雨が降ったら、子どもを外に出さない」と言っていました。服を汚すと親が怒るからって。濡れて風邪ひいたらどうするとかね。
渡辺 教育を悪くしているのは、親ということでしょうか。
桃井 昔より今の子育ての方が難しいんだと思います。昔は親が一生懸命働いて、子どもに何か買ってあげるのが親の愛情の示し方だった。でも今は、多くの方が何でもその場限りで買えてしまう。イギリスのように成熟した社会がずっと続いているところと違い、日本はこの60年間で急激に変化しましたから。買い与える愛情から、我慢させる愛情へのシフトが追いついていないんでしょうね。急速に豊かになって、権利を主張することは上手になったけれど、責任の自覚が追いついていない。成熟した社会になるには責任意識が必要ですが、そこが抜けている。今は成熟した社会へ向かう一過程なのだと思います。
上野 子どもに何が大切かを親もしっかり考えて、責任ある子育てをして欲しいですね。
渡辺 お母さんたちが子育てに自信を無くしている面もあるかもしれませんね。次回からは、それぞれお一人ずつのコラムで、ちょっとからくちな考えを伺っていきます。どうぞよろしくおねがいします。


momoi.jpg桃井真里子さん…自治医科大学小児科学教授。自治医科大学とちぎ子ども医療センターセンター長

karakuchi%20ueno.jpg上野通子さん…16年間国語科教師後、3年間渡英し現地で日本語教師を務める。帰国後は宇都宮文星女子高等学校国際交流センター長。現在は栃木県県議会議員として活躍中

inoue.jpg井上初代さん…元宇都宮大学附属幼稚園副園長、元足利短期大学教授、元栃木県幼児教育センター顧問。幼児教育のベテラン先生です

親は子どもの自立を願うもの…だけれど

上野通子のちょっとからくちTALK
親は子どもの自立を願うもの…だけれど


 イギリスでは、どんなに小さな子でも自分に個室が与えられると、子どもはその部屋に寝ます。 日本では個室は与えますが、寝るときは親と一緒ということが多くありませんか。イギリスでは、子どもが泣き叫んでも自分のベッドに寝させるのが普通なんです。
 「部屋を欲しがるなら、自分で責任を持ちなさい」っていうことですね。個室という自分の城を持つこと、そのことが?子どもと親のそれぞれの自立?につながります。だから子どもが泣いたりぐずったりしても、しばらくは親も部屋にいますが、よっぽどでない限り一緒に寝ることはありません。それは、子どもを一人の人間としてみているから。そういう教育が、子どもの早い自立や精神面での成長を育てていると私は思います。
 日本の親はどうでしょう。子どもを自分の付属品のように扱っている人が多くありませんか。高校生になっても、なんだかんだとお金を渡したり、世話を焼いたりしている親をみませんか。

自立心を育てる
 イギリスでは、17歳から車の免許取得が可能です。18歳からは飲酒も可能ですから、高校の卒業ダンスパーティー(サマーホール)では、学校で先生や保護者と一緒にお酒が飲めるんですね。お酒を飲める年齢ですから、高校生は一般的にはもう大人扱いです。もちろんアルバイトもOKです。親からも学校からも許可がでます。例えば街頭に立って歌を歌うなどのストリートパフォーマンスのアルバイトもOK。歌でも楽器でも、自分がうまいと思ったらお金をもらう。そういうアルバイトも許可されます。本当にうまい子だと、中学生で先生が許可するところもあります。「あなたはうまいから、どんどん外で自分をPRしてきなさい」って。お金をもらうありがたみがわかりますし、周りからも大人扱いされ自立心も養われます。アメリカでも、高校生はアルバイトをしている子が多いですね。自分でいろいろ考えて、道路工事をしたりとか。お金を得ることで、精神的にも親から少しずつ自立していきます。
 日本では、家庭に事情がない限りアルバイトは許可されませんが、人に言えないようなアルバイトをしている子の多くは、物欲からではないでしょうか。
 日本の高校生が精神面で幼稚な傾向があると言われるのは、根本的に自立心がないからだと思います。金銭面や精神面で、親に頼り切っているから。そして、親もまた、子どもをペットのように、常に自分のそばにおいたり、過保護だったり、過干渉だったり。
 「私たち親がまず子離れしなくては、子どもは育たない」と言うことをそろそろ自覚しなくては…と思います。

子の食事のしかたで親のしつけが分かる

井上初代のちょっとからくちTALK
子の食事のしかたで親のしつけが分かる

 ある避暑地でちょっとシャレたレストランをみつけ、そこで昼食をとることにしました。注文を終わって落ちついた雰囲気に満足しながら、ある食卓のグループに目がとまりました。そこは3人の親しい女子大学生らしい仲間のようです。食事をとりながらの会話がウイットで楽しそうであり、声もマナーを心得ていて、「会話もおいしい中」と思わせる雰囲気でした。みるともなく食事をしている一人のマナーにみほれてしまいました。フォーク・スプーンの扱い、スプーンで口に運ぶ食べ方など、マナー以上に優雅で美しいのです。普通のランチを自然体でこんなに見事に食べるその学生がうらやましく、幼少のころどんなしつけをされたのか、親の顔がみたいと思った、ほんの一瞬の食事風景です。食事の習慣は「楽しい雰囲気の中で、ゆっくり丁寧にたべる」ことを大切にします。
 例えば、乳児には『食物や食器になれる』を中心にし、幼児期は食べる楽しみに加えて、『家族や先生や友達と一緒に食べる楽しみ』を中心に、衛生やマナーに関するしつけを織りまぜながら育てるようにします。つまり幼児期は、基本的なものと次への習慣化を育てる適時なのです。
 保育所や幼稚園では食の文化を考え、一時間くらいお弁当の時間をとって、食前・食事・食後を過ごせるように大切にしています。お話しながら食事をするマナー、例えばテーブルを囲んだ人にだけ話をするとか、口にいっぱい食べものをいれてたべない、話さないなど、しゃべることと、食べることの関係をうまくできるように教えます。


伝統の食文化、
箸の扱いを大切に

 子どもは大人の食事のしかたをみて、食事にかかわることを学びます。ある調査では、わが子の箸の持ち方が正しいと回答した親子をさらに調べたら、その半数以上が正しくなかったといいます。親自身が正しい箸の持ち方を理解していないのではという結論でした。7歳になってしまった子に正しい箸の持ち方を教えようとしたら、「食事がおいしくない」と言われ見過ごしたら、成人してもそのままで困っているといいます。
 「たかが箸の持ち方・扱い方」ではない例もあります。その母親は魚料理をみごとにきれいに食べたので、感激した板前さんが挨拶にきたというエピソードの持ち主。その次男が、社内の宴会でタイのかぶと煮を見事に美しく食べたので、食事マナーと品格をみぬいたのでしょう、上役に認められ大抜擢をされたと私に話されました。
 食事は大事な文化です。人と人とのかかわりの大切な場面でもあります。食事は人間関係にもかかわる文化的な意味ももつのです。

大人自身が、エネルギー補給しなきゃ!

 最近、すべてのことに対して“争いたくない”というのが大人の根底にあるような気がしてなりません。
 きっと、大人自身が疲れきっているんですね。バイタリティーがないというか。外で仕事を一生懸命して、帰ってきてまで奥さんとか子どもとか、反対に言うと夫とかと、言い争いをしたくないって。無駄なエネルギーを使いたくないっていうのもあるかもしれません。
 確かに、争うということは相当なエネルギーを使うじゃないですか。それならば、「まあ、お金を与えておけばおとなしいだろう…」って。そういう感覚に、多くの日本人がなってきていると私は感じるのです。ものが豊かになったこともありますが、その豊かさに麻痺して、本当に大切なことを見失ってしまっているように思うのです。

もっと昔を思い出して
 昔は、一つのものをみんなでよく分け合いましたね。これみんなで分けなさいって言われて、「はいっ」ていいながらも、取り合いしながら子どもたちは育ちました。常に家の中は競争でした。また、反対に言うと常に家の中でがまんすることが多かった。「今日はこれしか食べ物がないのよ」って言われて、お姉ちゃんが「じゃあ私はいいから一番下の子が食べな」とか。助け合いの気持ちも家の中でいっぱいありました。もちろん争いもあったけど、そこからがまんも生まれ、助け合いの精神も小さいころから育ちました。
 今の私たちが見失っているものは、昔の家庭にはちゃんとあったと思いませんか。
上野通子のちょっとからくちTALK
大人自身が、エネルギー補給しなきゃ!

 今いくら共働きだからと言っても、昔だってやっぱり大変だったら奥さんも働いていましたよね。それでも帰ってくれば、夫婦ふたりで一生懸命助け合いながら家庭を成り立たせていました。お父さんも、いざとなれば、真剣に子どもたちを叱りました。相当のエネルギーを使って。お母さんは家事を本当に一生懸命やっていました。
 今は、どうでしょう。夫婦共に家に帰って来ると疲れているので、子どもと争うエネルギーがない。だから、子どもには、いい子にしていてもらわないと困るんですね。いい子にしていてもらうために、お金を与えてしまう。言い争うより簡単だから。子どもの不機嫌な顔を見ないで済むから。ちょうど部屋も個室がみんなあるから、顔を合わせなくて済みますし。
 現代の子どもたちの多くの問題点は、競争する力がなかったり、がまんできなかったりする結果から生じています。それは、家庭の中で養われなくてはならないことが欠如しているから。私たち大人が、タフになれるほどの精神力とエネルギーがないから。なんですね。

外出時はしつけのチャンス

井上初代のちょっとからくちTALK
外出時はしつけのチャンス

 東京のあるデパートでのことです。売場で母親は品定めに夢中で連れの4歳児くらいの子どもに目が届きません。子どもは母から相手にされず所在なげでした。ついに待ちきれず、食べものを持った手で、商品をいじり始めました。商品は純白の布製です。店員が見かねて声をかけました。
 “これ、いじらないでね。だめよ”と。子どもは無視して行動をやめません。その時、ふと聞きとがめた母親が、子どもにではなく、店員に鋭い怒りの視線をなげて、「この人に怒られるからいこう」と憤然とほかの売場に子どもの手をひいて移動していきました。店員は客とのトラブルに耐えているようでした。
★子どもには、なぜ店員に叱られたのか、なぜ母が急に荒々しく移動したのか理解できなかったでしょう
★かわいいわが子が他人に叱られた。許せない。という気持ちのようですが、この母親は子をしつける絶好の機会をはずしたことに気づいていないようです。
 例えば、子どもの困った行動に気付くのが遅れたことをわびる気持ち、店員が遠慮がちながら叱ってくれたその勇気に共感の気持ちを伝えるなど、母親のわびる言葉やしぐさに、子どもは自分がしてはならない行動をし続けたことの重大さに気付き、ダメなことはやめようと思うでしょう。
ここでは、感情的にならず、わが子に毅然としたしつけの態度をみせることが必要だったのです。

人から注意を受けたら、まず感謝を
 ある会合でこんな研究発表がありました。
 昼食時のレストランでのことです。家族連れや、母と子の何組かがグループで食卓を囲むなど、多少混んでいました。運ばれる食事を待てなくて、グループの5歳〜6歳くらいの何人かが席を離れてふざけたり、走りまわって遊びだしました。食事を運ぶ店員にぶつかりそうでハラハラしました。たまりかねた店員が、注意をしました。まわりの人びともホッとした瞬間、グループの母親が逆ギレして店の人に文句をつけました。「高級な店は子ども連れは遠慮します。しかしファミリーレストランは子ども連れで食事ができる所ですね。ということは子どもは本来動きまわるのが特徴、それも認めているのだから文句をいわれるのはおかしい」と。
 この理由づけはこの母親の特例ではなく、割合多くの母親の考え方だとの報告に、研究者一同声もありませんでした。
 渡辺昇一氏は「日本は学力に関しては0歳児からの幼児教育も盛んになってきたが、子どものしつけに関しては、いまや後進国なのではないかと思うほどだ」と著書で述べています。私もこの考え方に共感して心配になります。

救急外来の診察室から見えるもの

桃井真里子のちょっとからくちTALK
救急外来の診察室から見えるもの

 親にとって子どもの急病ほど、心配なものはありません。自分が病気になるほうがよほど楽、でしょう。また、子どもはよく病気をします。大学病院の救命救急センターは、三次救急医療施設なので、心肺停止、けいれん重積、などの重症救急が役割です。
 しかし、この10年間、この救命救急センターに、軽症救急が多く受診し重症患者さんへの医療に支障を来たしていることはニュースなどでご承知の通りです。
 この数年目立つことは、軽症患者さんの救急車利用が増えていることです。「病院の場所が分からなかったから」「救急車でいけば診療を早く受けられるから」「運転する人がいなかったから」など、論外! の理由が多々あるのです。
 これは、自分だけ得をすれば良い、という利己的意識の反映です。若い医師がそういう救急車利用について注意をすると親が檄高してかえって診療時間がかかるので、ひたすら耐えてお帰り頂く、ことになります。また同じようなことがないことを願いながら、です。
 一度、注意をしたら医者を代えろと怒鳴りだした親がいました。苦情は言わなきゃ損、得することはしなきゃ損、利用できるものは利用して何が悪いんだ、という意識がはびこっているように思えます。私は神経の患者さんを診療しています。そのような方々はむやみに夜受診しません。基礎疾患があるせいか日ごろ、子どもの調子をよく観察しているので、あれ、おかしいな、と気づくのが早く、また、悪くならないうちに、と無理をしてでも日中に受診してくださるからです。

子どものかかりつけ医を近隣で探しましょう
 親になった以上、ぜひ、していただきたいことがあります。それは産科を退院したら、直ちに近隣のかかりつけ医を決めていただきたいのです。病気がなくても、です。予防接種のこと、栄養のこと、急病のときの地域の時間外診療体制、などなど、育児に必要な医学的情報をしっかりと手にしてください。幼児期以降はけがをすることもあるでしょうから、かかりつけ医に近くで受診できる外科系の医療施設も聞いておくと良いでしょう。
 必要なときにいつでもコンビニで入手できる生活に慣れて、事前準備、ということができない大人が増えています。育児に事前準備は必須です。そして自分の得だけではなく、自分の行為で誰か知らない人が大きな損害を被っているかもしれない、と考える親であって欲しいと思います。
 それは自分の子どもにも何よりの教育になるでしょう。

イカした会話、できてますか?

井上初代のちょっとからくちTALK
イカした会話、できてますか?

 5カ国を研修で回っているときの話です。
 ロンドンの幼稚園を参観しました。そこは小学校との併設で、昼食は園児と小学生が共に食堂でとります。到着順に席につき、小学生と園児とでグループになって食卓を囲みます。したがって毎日違った顔ぶれで昼食をとります。
 そこでの食事のマナーはさすがですが、会話を一人ひとりが盛り上げて、おいしく、楽しい食事が自然体で進むのが見事でした。上級生が園児に語りかけ、それにのって園児も会話に仲間入りです。
 当日の客である私にもむりなく語りかける子がいます。内容も豊かで「英語がわかるか」と問いかけ、話がわからないと察すると、わかる言葉にいいかえ、理解できると席の皆が本当によかったという表情で喜びます。あまりの語り上手、聞き上手さに心和み食事が楽しめました。偶然できた大人のいないグループの中で、「会話がおいしい」と思えるまでに育てた家庭教育をぜひ知りたいと思いました。
 会話というと、パリで食事に招待された時のその家の母親の言葉を思い出します。
 「今夜このごちそうを囲んで、家族とどんな楽しい会話をしようかと毎日考えますが、考えるこの時間も楽しい」。食事はコミュニケーションを育てる最適な場ですが、食事での会話を大切にしている訪問国共通の思いにふれ、さて、日本はなどと思いをめぐらせてしまいました。

親子で言葉が通い合うことが基本
 「おかあさんアノネ」
 子どもは自分で知ったこと、考えたことを今日どうしてもいいたいのです。そんな時母親がよい聞き手になって相づちを打ったり、「それで」とうながすと、どうしたらママにわかってもらえるかと四苦八苦しながら言葉を選ぶので、会話がはずみます。また感動した時も、「アノネ」とこの思いを母に共有してもらいたいのです。しかし子どもの価値観は大人と違います。大人が見慣れたこと、つまらないと思うことに心を動かします。花や虫、泥んこのはね方などに感動し話題にします。そんな時、母親も新鮮な目で見直し、子どもの言葉をしっかり包みこんで受けとめて共感をすると、さらに話す内容を考えて会話を豊かにしようとします。しかし、共感したり共に心を動かさないと、会話自体をしなくなります。「おしゃべりしながら考える」時代ですから考えることも育ちません。
 子どもは両親の会話を手本に会話術を学びます。あなたが友人と趣味などイキな会話ができるか、病気のグチ・他人のカゲ口などヤボな会話しかできない親かで、子どもの会話する力に影響します。

過干渉と放任のあいだ・・・

桃井真里子のちょっとからくちTALK
過干渉と放任のあいだ・・・

 育児は難しい、本当に難しいと心底思います。外来診察室でも、ときどき、お母さま方と、難しいですよねえ、と変な合意に達したりしています。世の中の作業で一番難しいのだろうと思います。
 それに比べたら、部長職やら社長職やら教授職なんて結構楽なものです。親業という言葉があるそうですが、私は嫌いです。親は業ではないし、もっと神聖な立場だからです。神聖な立場をお互い凡人がやるから、大変で当たり前なのです。
 よく聞かれます。「スパルタ式で頑張らせるのが良いのか、それともゆったりとこの子のペースでやらせるのが良いのか」。正答はありません。 スパルタ式で世界的音楽家に育て上げる場合もあるでしょうし、スパルタ式故に子どもの心身が破壊される場合も、それはそれはたくさんあります。ゆったりペースは、親子ともに不安と闘わねばならないので、よほど、自分に自信のある親でないとできません。子どもは親の価値観をよ〜く知っています。
 「この子には自分のペースでいいよ、って言っているんです」と言う母親の傍らで、(嘘付け!)とばかりににらんでいる不登校の中学生がいます。親が口にしていることと本心の違いを、見事に見抜いているのです。 親は自分の価値観と食い違う状態の子どもに対する不安で一杯だし、子どもは子どもで自分が親の価値観通りに行動できないことで、不安と怒りで一杯なのです。

かわいい子だからこそ、自分から離すことも必要

 昔なら、「勘当だ!」で親子が一時離れることで、親も子も離別の厳しさに耐えて子どもが成長しました。今の日本では親子密着型ですから、親も不安に耐えかねて過干渉になるし、子どもも反抗しきれずに閉じこもるし、となります。両方ともにどんどん内向きになって悩みを深める家庭が増えています。
 かわいい子には旅をさせよ、というのは、本当です。かわいいからこそリスクへの不安に耐えて自分から離すことも必要です。旅とは旅行ではなく、何かを探しに行かせなさい、ということのようです。子どもが小さいほど、離す時に見守る度合いは大切です。離しつつ見守る、こんな離れ業は、親でしかできないことですし、これをすることで、親は成長するのかもしれません。
 駐車場で2歳児の子どもの手も引かずに前を歩く親を見るたびに、護(まも)る、という親の基本本能が薄れていることを危惧しています。護る本能が薄れれば、見守りつつ離すこともできないでしょう。難しい、でも見守ってください。そうすれば不登校の子どもも自力で歩き出します。

カタツムリの人生でいいんじゃない!

上野通子のちょっとからくちTALK
カタツムリの人生でいいんじゃない!

 うちの子が小さいころ、スイミングスクールに行った初日にプールに落ちたんです。プールをずーっと見ていて、そのままポチャっと。そこへ若い先生がすぐに来て、助けてくれました。
 私は、落ちたことで娘が水を怖がるんじゃないかと、ハラハラ、ドキドキでした。そうしたら娘は、「水怖くなかったよ。先生にね、『お魚いっぱいいたかな』って聞かれたよ」って。
 あの時、先生が大さわぎしたら、きっと娘はプールを嫌いになったかもしれません。本当にすばらしい先生でした。
 イギリスでも、ステキな先生に出会いました。美術館見学に学校で出かけた時、じっと風景画を見ていた娘に「何か聞こえた? いい香りした?」って聞いたそうで、娘は「ママ、絵の中から、お花の香りがしたよ。風の音も聞こえたよ。絵ってすごいね」って。ステキな先生との出会いによって、娘たちは水泳も美術館も大好きになりました。
 ピアノのレッスンもそう。日本人はまじめだから、集中力がつくとか、勉強ができるようになるとか言って、みんなピアノを小さいうちから始めるじゃないですか。でも、技術的なことを学ばせることが多いでしょ。
 イギリスでは遊び感覚でやるんですね。歌を歌うように、ピアノを弾く感じ。技術的なことは後にならないと教えない。だからリズムがちょっとこけていたり、手が動いていなかったり。その後、少しずつ遊びながら、感覚で覚えていく感じ。だからとことん楽しんだ人が残ります。学校ではいろんな楽器をやらせてくれるんです。うちの子はピアノのほかにハープやパイプオルガン、ドラムも喜んでやりました。

楽しんでこそ、ものになるのよね! 
 日本人のいいところは、一生懸命なんでもやること。親も一生懸命、子どもも一生懸命、まじめに練習してどんどん上手くなる。でも、そこに心があるかっていうと、まずテクニックを上達させることが優先で、だから楽しくなくてやめちゃう子もでる。親自身が、?完璧な親などいない?の精神で、少しずっこけるところがあった方が、子どもも楽かもしれませんね。
 これまでスピード社会にのって一生懸命だったけど、ストレスも多いし、何より、先へさきへと急ぎすぎるようになった。社会にゆがみも出てきている。私はこの辺で、カタツムリの人生でいいんじゃないかって思うの。
 ゆっくりと今までの自分を振り返りながら、ゆっくりなんでも時間をかけてやってみる。みんながそんな風になるといいと思う。子育ても、他人と比べるのではなく、時間をかけてのんびりやってみてはどうでしょう。

あなたは“叱り上手”ですか?

井上初代のちょっとからくちTALK
あなたは“叱り上手”ですか?

 ロンドンで食事の招待を受けた時のことです。
 食事の知らせを受けて、その家の5歳の子どもも食堂に入ってきました。その子をみた母親は“約束のマナーが守られていない”と注意しました。それは、「服装のよごれと乱れを整えること、約束通りの手の洗い方ができていない」ことのようです。つまり食事をするにふさわしいマナーかどうか、自分で判断して行動すべきだ、ということのようでした。
 しかし、その子は注意を無視してそのまま食卓につこうとしました。その瞬間、母は子を強く抱き寄せて驚くほどの勢いでお尻を叩きました。招待客の目の前で、です。
 しかし数分後、子どもは泣きやんで約束通り身なりを整え、手を洗って食堂に入ってきました。食卓につくのを許された時には親子で何のわだかまりも感じさせず、客をもてなすのにふさわしい雰囲気をかもしだしていました。家族みんな笑顔で客を交えて会話を楽しみ、ごちそうを褒め合う光景に、私は“叱る”の本質をみたように思いました。
 要点を押さえた言葉で、必要なときは叩いてでもノーを言う。しかも、できるまで見届ける母親のしつけへの思い。泣きながらもノーの意味や失敗が理解できると素直にやり直す。できたことを誇らしげに親に見せる子の態度。多分、日常の母親は褒め上手で温かく、親子の信頼関係ができているのでしょう。

親業としての重要な役割・叱り上手
 今、日本では、叱らないでできるだけ自由に育てるのが理想とする育児の考え方があります。その一方、愛情のフォローもなく、幼い時から社会の一員としてしつけを型通りに厳しく確実に身につけさせようという考えもあります。両極端で一長一短あると思うのですが、どうでしょうか。両方のよさをとりいれて育てるには、ここでいう「叱り上手」が課題になります。
 子どもが2、3歳のころ、親の言葉が理解できたら「世の中には自分の思い通りにならないことがある」ことを教えます。5、6歳までには、時には思い通りにならないばかりか、それを我慢して耐えることの重要さ、その耐える経験から、理解し行動に移せるまでにしつけます。
 しかし、子どもは同じことをいくどか失敗しながら、理解し、我慢を学びとっていきます。一度で教えようと厳しくしつけるのではなく、「子どもの理解度を見極めて、その時その場で、具体的に要点をつかんだ言葉でだめだしをします。一度だめといったら、その行動をやめるまで見届けます」。つまり、有効にだめだしができる、叱り上手になることこそ、大切な親の役割と条件だといえます。

チャパツのお父さん…

桃井真里子のちょっとからくちTALK
チャパツのお父さん…

 もう何十年も前、私が2年目の医者だったときのことです。とても若い夫婦の初めての赤ちゃんが、ダウン症候群という染色体異常を持って生まれました。心臓には雑音があり、いずれはさまざまな検査や治療を必要としていました。生まれたときから前途多難な赤ちゃんでした。お父さんはまだ20歳で、当時極め付きに珍しかったチャパツでした。お母さんはまだ産科病棟で、赤ちゃんだけが小児科に移されたのです。正直、お父さんへの説明は気の重いものでした。チャパツを見たとたん、とんでもなく不安になったからです。診断、心臓のこと、発達が遅れること、などなど若いお父さんにとっては喜び一転、奈落の底に突き落とされるような説明だったことでしょう。じっと聴いていた20歳のチャパツの若者は、きっぱりと言いました。「いいです、大事に育てます」。外見と年齢からは予想だにしなかった言葉を、今も思い出すことができます。

 それ以来です。私は人間の外側や肩書きや、まして職業やなにやかや、人間にくっついているものは、本当に本当にささいな一部だと思うようになりました。医者をしていて良かったと思えるのは、こういう人たちを知る機会があるからです。寝たきりで泣くだけで親も分からないであろう重症心身障害児を24時間、365日在宅でケアをする親がいます。人工呼吸器を付けて在宅ケアをするとお母さんは一歩も外出できません。きれいな若いお母さんAさんもその一人です。外来にとてつもないファッションで来て私の目を楽しませてくれる若いお母さんは、手のかかる発達障害児の育児と周囲の冷たい目と闘うことに必死です。皆、自分のせいではない苦難を背負って、最初は、とまどいました。どうして自分だけ、とつらい時期を過ごしたに違いないのです。たくさんの涙を流して、たくさんの眠れない夜を過ごして、たくさんの怒りを押さえつけて、必死で育児をしています。おそらくは街ですれ違ったなら、ただの人にすぎません。

 発達障害児を苦労して大学まで育て上げてもう外来は卒業ですね、と言い合った母親は言いました。「私、この子を育てて良かったです。そうじゃなきゃ、とっても傲慢だったと思います。苦労して生きる子がいるって分かって良かったです」。偶々(たまたま)教師をしていた方でした。幸運にも病気を持たない子どもを授かった方は、偶々(たまたま)、なのです。偶々の幸運に感謝し、世の中には人知れずたくさんの苦労をしている親がたくさん居ることを知ってください。そして、そういう親子に深い思いを致しながら育児をしてください。それは自分の子どもへの余裕ある気持ちへと通じるはずです。

みんなで楽しく食べる。これが給食なんだな

上野通子のちょっとからくちTALK
みんなで楽しく食べる。
これが給食なんだな

 給食に関して数年前に論争がありましたよね。「いただきます」なんて必要ないとか…。“給食費を払っているから、いただきますなんて言わなくたって、食べていい権利はあるんじゃないの”という考えから始まったらしいんですけれど。
 イギリスでは、お祈りをしてから「レッツ・イート」と言って食べます。たぶん日本の「いただきます」と同じで、食べ物に感謝しますということなんです。どの国でも動植物の命をいただいて、私たちは生かされているのだから、食事の前には皆さんで感謝しましょうっていう時間をとっている。だから、まず食べる前に「いただきます」と言って手を合わせる…これはもう日本の文化として、当たり前のことと考えてもいいんじゃないでしょうか。
本来の日本の給食はというと、戦後の日本が混乱し貧しかった時期に、弁当を持ってこられない子がいた。国は子どもみんなに同じ食べ物を与えようということで、コッペパンと脱脂粉乳を給食として配った。私はそこに給食の原点があると思うんです。みんなで同じ物を同じ学校で一緒に仲良く、楽しく食べることに意義があったはずです。
 イギリスでは、今でも給食を味も質も一流にしようなんていう考えはおそらくないですね。以前「給食をおいしくする努力はしていますか?」と聞いたら、「いいえ、普通ですよ。どんな物でもみんなで食べればおいしく感じるじゃない」って言われてドキッとしたんですよ。みんなで楽しくおいしく食べて、社会性を身につける。これが給食だなと思いました。

栄養バランスは家庭料理で
 今の日本の給食は、子どもたちの栄養のバランスを考えた、味にも質にもこだわったものを望んでいる親が多いのではないでしょうか。
 イギリスの給食は質素です。例えば大きなジャケットポテトが1つど〜んとお皿にのっていて、あとは水とつけあわせの温野菜か生野菜くらいのときも多いです。「これ、栄養バランスは?」って言ったら、「あらそんなこと気にしないわ。足りない分は、家庭でまかなうのが当然でしょ」って。あくまでも家庭の味を補佐するために給食があるんです。親が「学校で何食べた?」って聞いて、子どもが「ジャケットポテトとサラダ」って言ったら、「じゃあ今日は、お肉にしましょうか」とか。バランスを考えるのは、やっぱり家庭の仕事ですよ。
 もしそれでも栄養のことを重視したいのなら、学校には栄養士さんがいるんだから、「今日足りなかった分はこれなので、家で摂ってください」みたいな便りを出していただけるといいですね。

“叱り上手”と自己採点できますか(2)

井上初代のちょっとからくちTALK
“叱り上手”と自己採点できますか(2)

 子ども会に付設されている保育コーナーの遊びが、3歳のA男は気に入って夢中で遊び続けていました。しまいに帰りの時間になっても遊びをやめず、促ながされても動きません。母と姉はやさしく辛抱強くいいきかせるのですが無駄でした。15分たったころ、私が偶然通りかかりました。A男は皆がその場から離れてもまだ帰る気配もみせず座り続けていました。これは3歳のころよくみかける行動です。私はきっぱりした態度で「お母さん帰るよ、今なら間に合うかな」といいのこし立ち去ろうとしました。その言動にA男ははじかれたように態度を一変させて帰り支度をして母を追いました。よほどてこずっていたようで、周りから「一人で行動した」と、安どや驚きの声が聞こえてきました。
 3歳児は自我が芽ばえて自分のやりたいことを思い切りやろうとする自己発揮できる初期段階の年齢といわれています。しかし自分中心に物事を判断しますから、自分がやりたいこと、ほしいものなどには強くこだわりそれを阻止されると反抗的な態度でたちむかいます。また親が根負けして要求が通せた経験を持つとくり返しその手を使って反抗します。“人目が気になる場所で大声で泣きわめく”“母が困る時や所で動かないで反抗する”などは3歳児によくある例です。しかし3歳児であってもルールがあること、それに従うことを学ばせる必要があります。
 「ノー」のわけをきっぱり短く、具体的に話す。必要な場合は、母はその場から離れて子どもを一人にするなど方法を考えます。やさしく、静かにくどくどと言い聞かせるには適さない年齢です。

5歳の耐性は、母の冷静な態度・叱り方で育つ
 強引に自分のやり方を押し通す5歳のB男は、自分1人だけが誕生会に招待されていないことに気付きました。招待してほしいとたのんでも、「いじわるだからだめ」というつれない友達全員の返答です。このショックを先生からそっと知らされた母は、冷静に受けとめ、先生と協力し合うことにしました。
 母親は適時にB男の悩みをさそいだし、『淋しいね、どうしたら招待されると思う?』と母も悩みを共有し、子どもの考える方向に添いながら意見を加え、結論は子ども同志にゆだねました。
 B男には「ノー」は考えるよい機会でした。以後、友達の意見に賛同して自分を抑制するとか、回り道であってもやりたいことができるように工夫しようとする姿勢がみられ、それを先生も認めて友達に知らせたりしました。つまり、社会のルールを5歳はここまで理解できるのです。5歳は、自立に必要な耐性を育てる適時なのです。

再度、発達障害のお話です

桃井真里子の…ちょっとからくちTALK
再度、発達障害のお話です

 発達障害の診療をしていると、育児そのものの基本を教えられることが多いのです。
 発達障害とは、知的障害、自閉症、広汎性発達障害、多動性障害、学習障害、を指します。発達障害を持つ子どもの育児は、とても大変なのです。なんとなく育てにくい、親の言う通りになってくれない、何度繰り返し教えても積み重ねが感じられない、着替えから歯磨き、食事まで繰り返し注意と叱責の連続でうんざりする、この子どもがかわいいとは思えない、そういう自分を責める毎日、学校の先生からの呼び出しと注意をうけてばかりいる、クラスの子どもの親に謝ってばかりいる、電話が鳴るとぞっとする、などなど、それは大変な毎日です。
 専門医の診断に至るのが早いと、それでも、親の子どもへの理解はより深まって、こういう存在の子どもたちも自分と同じように苦労の連続なんだ、と納得がいきます。こういう存在のしかたも生き方もあるんだ、こういう人たちの人生も別の価値があるかもしれない、と思えるようになります。それによってご両親自身の人生の価値観も広くなります。人間はいろいろで、苦労している人間を理解して支えることの大切さを実感することで、苦労を人生の苦い成熟の糧にできるようになります。そうは言っても、言葉に尽くせない苦労には違い有りません。
 成長する子どもたちを見ていると、親の対応で随分行動が違ってくるのです。歴然、といっても良いほど、違います。 子どもの違い、問題を理解して受け入れて、それに沿った価値観で育てよう、と決意されたご両親の子どもたちは、発達障害があっても、問題行動を起こしません。自分の存在の価値を両親が認めてくれているから、時に動揺し時に苦悩しても安心して成長できるためです。子どもの問題を修正しよう、矯正しよう、「普通」に近づけよう、とするあまり、子どもの本来の姿に眼をつぶりがちな両親の子どもは、思春期に大荒れをします。外に向かえば暴力、内に向かえば引きこもり、自傷、さまざまな表現で、自分自身の不安定さを表現します。
 これは、発達障害のある子どもに強く表れがちですが、発達障害のない子どもでも基本的には同じなのです。
 子どもは親の希望を実現する道具ではありませんし、親の不満・不安解消の対象物でもありませんし、親と違う能力と価値観の存在です。杓子定規の価値観の押しつけが、無意識に日本の育児を覆っています。この子はどういう子どもなんだろう、自分とどうちがうんだろう、どういう良いところがあるんだろう、と、世間的価値を度外視して、たまには真剣に考えてみる、それが育児の基本のように思います。

弱者の視点にたち、心をバリアフリーに

上野通子のちょっとからくちTALK
弱者の視点にたち、心をバリアフリーに

 私の母は、障害者の子をもつ親の支援などをする「泉の会」で、30年以上ボランティア活動を続けています。私も中学生ごろから一緒に障害者の施設に行くようになり、いろいろな障害者やその家族に出会いました。
 その一人は、人口呼吸器がないと生きられない男の子。その子のお母さんは我慢することが多くて、外に出ることもできませんでした。そういう人たちのために、何か私たちにもできることがあるはず。例えば新議会棟にできた親子傍聴席も、誰もが平等に参加できる一つの工夫です。
 やっぱり、障害者が家にいると外に出にくいとか、人と同じことができないのは良くない。そういう人を無視せず、みんなで考えることが本当の心のバリアフリーになるのではないでしょうか。
 私たちだって、明日事故にあって障害者になるかもしれません。高齢になって具合の悪いところができたら、弱者の立場になることもあります。元気なうちは忘れがちですが、心をバリアフリーにして弱者の視点に立って考えることが、障害者問題を考えるときの原点になると思います。

<.b>子どもの心のバランスを育てて
 約13年前、娘たちが通うイギリスの学校に、ピンクデーやアフリカデーという日がありました。ピンクデーは乳ガンの人のために、ピンクの服を着る日。アフリカデーは難民のために、動物の変装をする日。その格好をすることでボランティアの気持ちを表現し、ピンクの服や動物の変装を忘れた人が募金をします。お金を入れるだけという日本のやり方は、子どもの心に残りません。でもこの方法だと、困っている人のために何かするという気持ちが子どもたちに自然に芽生えます。
 ほかにもイギリスの学校では、ピアノなどをボロボロになるまで使い、新しい楽器はチャリティー募金をして買います。娘も「ピアノを弾いてチャリティーをしたら」と言われ、学校のピアノを買うためコンサートを開きました。着物を着てコンサートをしたら、たくさんの寄付が集まって。日本に帰ると子どもたちは「障害をもつ人に音楽を伝えたい」と言うようになり、高齢者や障害者の施設で100回以上コンサートを開きました。
 ヨーロッパは建物のバリアフリーこそ進んでいませんが、心の中がバリアフリーです。義務教育なら重度の障害をもつ子以外は学校で教育を受けられます。車イスの子を手伝うのは子どもたちです。「階段で車イスを上げるの大変でしょう」と娘に言うと、「みんなでやれば大丈夫」って。義務教育では知識をつめこむだけでなく、そんな経験をとおして生活の知恵をつけ、心がバランス良く育つようにすることが大切だと思います。

誰かのために役立つことを生きがいに

上野通子のちょっとからくちTALK
誰かのために役立つことを生きがいに

 今の子どもたちは、生きがいをなくしてる子が多いと思います。携帯やメールで顔の見えないつきあいをするため、心のこもった交流ができなくなっているようです。
 でも、そんな子たちも障がい者の施設でボランティアをすると、車イスで一生懸命勉強している人や、目が不自由でも頑張って生きている人と出会い、「私たちにできることを探して頑張ろう」と思うようになります。人の痛みを知ることで、自分の悩みなんて小さなものだと気付いたり、何か手伝いたいという気持ちが、生きる希望に繋がったりすることもあるのではないでしょうか。
 健常者は皆、障がいを持っている人や、社会的に弱者と言われる乳幼児や高齢者、ケガや病気の人には、いたわりを持ってやさしく接してあげたいと思います。でも現実には何をしてあげたらよいか分からない場合が多いようです。宇都宮市内のある中学校では、ほとんどの生徒が「障がい者との出会いがない。どう接したらいいか分からない」と言っていました。
 例えば、街で車イスの方をみかけても無視しないで、まず「こんにちは」と普通にあいさつしてみてください。とても喜んでもらえますよ。車イスの人は目の高さが約90cm〜120cmですから、腰を折って目線をあわせることも大切ですね。段差などがあったら、そこで「お手伝いしましょうか?」と言うと良いでしょう。また、目が不自由な人には、肩をかしてあげてください。人通りが多かったり荷物を持ったりして大変そうなときは「私の肩をどうぞ」と言って、視覚障がい者のためのブロックを一緒に歩きましょう。
 まずは、弱者に対して、自分から笑顔であいさつしてあげることが基本ですね。
 栃木県には、世界的にも有名な観光地が多いですよね。でも、車イスで行けない場所がたくさんあります。海外から観光に来たのに、行きたい場所に行けずにがっかりして帰った人もいます。海外ではそういう場所には、多くのボランティアが常駐しているか、その場で観光している人が率先して手伝ってくれます。日本だと仕事をもつボランティアの人が多く、予約しないとなかなか集まりません。また、海外では退職した後は人のために何かしたいという気持ちの人も多く、観光地や教会でお手伝いなどをしています。
 定年後何をすれば良いか分からないという人は、ボランティアを始めてみてはいかがですか。
 定年後、自分にあったボランティア活動を捜し、そこで出会った方々との友情の輪を広げ、心の絆を深め、さらには一緒に楽しくボランティア活動ができるようになれば、一生の生きがいにつながることもありすばらしいですよね。

小脳の発達が大事だということ

桃井真里子のちょっとからくちTALK
小脳の発達が大事だということ

 子どもの発達を考えるとき、大脳ばかりを考えていないでしょうか。 大脳=知能のように思われていて、英語の早期教育だとか、超早期教育だとか、花盛りです。果たしてこれは科学的かというと、少し違うのです。 
 脳科学は、どうしても大脳の機能に偏って進んできました。それは、脳梗塞を起こした脳の解析から脳のどの部位が言語機能と関係するか、運動と関係するか、から脳科学がスタートしたからです。最近の脳科学は、小脳にスポットライトを当て始めました。
 小脳は運動機能、運動記憶、バランス機能、とだけ考えられてきたのですが、どうやら小脳は、知能にもとても大切な働きを提供しているらしいのです。言語の発達に小脳が深く関係することが分かってきました。
 言語だけではなく、記憶、社会心理学的行動、などの発達にも関与するらしいことが分かってきたのです。
 自閉症を持つ子どもたちは、社会性の発達、コミュニケーション能力、周りの情報を適切に取り入れる能力に問題があります。同時に、動き方がぎこちなかったり、不器用だったりすることがあります。この病気の方の小脳に問題があることはずっと以前から知られていました。大脳にも問題はあるのですが、小脳に明らかに問題があり、言語と社会心理学的能力の発達に重要な場所が、小脳であることが次第に分かってきました。

体をつかって、思う存分遊ばせてあげて

 大人でも妙に動作がぎこちない方は、言葉での説明が苦手だったり状況判断が微妙にずれていたりする方が多いのです。このことから考えると、子ども時代には、大脳に動きのない「知識」を詰め込むよりも、“たくさん運動をする”“体で覚える”“ころがったり登ったりして遊ぶ”ことで小脳を鍛錬する方が、その後の広い能力の発揮に有効だと思われます。体で覚えることで、社会心理学的な抵抗力がつき、社会性が身に付き、状況判断ができるようになり、と、どれもこれも人生で大切なことばかりです。
 少年期や青年期に犯罪事件で世の中をびっくりせるような子どもたちは、親に見守られながら思う存分遊ぶ経験をしていないように思います。だからといって、発達障害の原因が乳幼児期の運動不足にあるわけではありません。発達障害はあくまでその子がたまたま背負った脳の問題です。小脳の大切さを思えば、英語の早期教育などということに大金を費やすよりも、ゲームを際限無く与えるよりも、思う存分からだを使って小脳を発達させる、子どもの将来にはそのほうがずっと役立ちます。

給食も地産地消で地域との交流を

上野通子のちょっとからくちTALK
給食も地産地消で地域との交流を

 以前、学生にアンケートをとった学校がありました。“あなたが育ったときに、一番おいしかった料理は家庭料理、給食、コンビニまたは外食のどれですか?”って。そしたら一番は、コンビニおよび外食。二番は給食。三番は家庭料理。この順番は2〜3年変わらないそうです。コンビニや外食はおいしいものを出さないと買ってもらえないから仕方がないとしても、給食に家庭料理が負けてはだめですね。
 イギリスの給食が質素なのは、家庭の味や家庭の絆(きずな)を守るため、家庭の食事が一番だと教えるためということもあるのかもしれません。日本で驚いたのは、給食をフランス料理にしよう、イタリア料理にしようと言っているところがあること。そこまでしたら、家庭料理(へのこだわり)がなくなってしまうのではないでしょうか。
 たとえ質素なものでも、自分たちで“身近に感じる食べさせ方”をすれば、子どもたちはおいしいと言って食べると思います。例えば新潟では、ほとんどの小学校が毎日がごはんの給食で、お米のおいしさを子どもたちに教えています。炊飯器を置いて、自分たちで炊かせるところや、おにぎりをつくって、自分たちでつくる楽しみを教えるところもあります。
 どんな味でも、自分でつくったものはおいしいし、食べてもらえるとうれしいですよね。お金をかけて食育をしなくても、少し栄養価が低くなっても、それで十分だと思います。
 栃木県もお米の産地。地産地消で、栃木県内のものをもっと食べるようにしませんか。農家も助かりますし。実際に地産地消を実行しているところでは、小学生が「あ、あそこでとれた野菜だ」「おじちゃんとこのキャベツおいしかったよ」などと言うそうです。そうなれば地域との交流も深まって、いいなと思います。

給食が良すぎると親が考えなくなる
 イギリスでは、給食費は授業料の中に入っていて、額も微々たるもの。日本の給食費が高いと思うなら、ごはんやパンなどの主食を持って行くようにしてはどうでしょうか。今はあまりにも給食に頼りすぎて、給食ですべての栄養をとろうとしているように思います。給食がパーフェクトでバランスが良すぎると、親が考えなくなって、手抜きの家庭料理を子どもに与えることになるかもしれません。だから給食は、粗食で安くてもいいですよね。
 もし、「食事の管理はできません」っていう親がいたら、学校で相談にのるようにすればいいと思います。どんなものを使えば安く作れるか、栄養士さんがレシピを教えてあげるとか。そういうふうにしてはいかがでしょうか。

子どもの解決する力をうばわないで!

井上初代のちょっとからくちTALK
子どもの解決する力をうばわないで!

 5歳のB子は今朝も幼稚園へいくのを渋っています。理由は仲間のH男がいじめる、いじわるするからだといいます。母親は多少誇張のある子どもの話をうのみにし“お母さんにまかせなさい、かわいそうに”と子ども以上にキレています。そして、普段からあまり信頼していない担任の先生に責任転嫁しました。
 「気付いてないようですが、こんなにいじめにあっています。H男とグループを変えて遊ばせないようにしてください」。
 もちろん先生の意見など聞き入れる余裕はありません。母親の申し入れを受けた先生は、できるだけH男と違う遊び相手とかかわれるように、B子の友達関係に配慮をしながら保育をしました。 
 しかし、B子は自由に選べる食事の席も自分からH男の近くにとる、先生の特別な配慮でH男以外の遊び仲間と熱中していても、いつの間にかH男のグループで遊んでいます。いじわるされるといいながら、H男のグループの中に居場所があるようです。
 何日かたって遊びの内容が変わってきたとき、B子がリーダーになって遊びは進み、H男はB子のイメージに従って盛り上げ、いじめといういい方をすれば逆転のときすらみえます。これが子どもの世界です。いじめたり、いじめられたり、認めたり、拒否されたりしながら思いやりやなかよしを学んでいきます。
 B子の母親は先生だけでは足りず、H男の母親に直接「いじわるをしないように指導してほしい」とたのみました。大人の世界は今でも大きなわだかまりを持ち続けているようです。

自分で決断し、行動に移せるように方向づける
 昔から日本の母親はB子の母親のように「困ったときはお母さんにいいなさい、お母さんがなんとかしてあげる」といってきました。幼児教育の著者・品川孝子さんはこれを『身代わり主義』といっています。これでは、困った事柄にぶつかると、他人をあてにし、結果がうまくいかないと他人のせいに転嫁する子どもに育ってしまいます。
 こんなときは「いじわるされて困った。母もかなしい」と共感的な言葉で母の思いを伝え、“お母さんもわかっていてくれる”を心にえがき安心できるようにします。
 そのうえで“自分はどうしたいか”、“母にはどう援助してほしいか”を膝つき合わせてとことん話させるようにします。しかしB子の年齢では理解だてた話し方はむりなので、母の言葉を足しながらB子が納得して“こうしよう”がわかるように話します。もちろん親と子と先生の温かい信頼関係を信じて、先生の仲立ちを依頼することもよい方法です。
 つまり自分で“決断できる”は、自立への大切な道筋なのです。

地元で採れた作物を丸ごと食す

上野通子のちょっとからくちTALK
地元で採れた作物を丸ごと食す

 日本はいま、食料を輸入に頼っていますよね。一時、イギリスも輸入に頼っていたようですが、危機感を感じたようで、いざ何かあって食料が入ってこなくなったとき、生きていけなくなるんじゃないか…って。
 そこで、イギリスは家庭菜園を復活しました。自分たちでできるだけ自給自足すれば、海外から輸入するものを少しでもおさえられます。必要なものは買うけれど、家庭菜園でまかなえるものはまかなう。そういう運動をすることで、自給率を上げることに成功しました。
 日本で同じことをするのはなかなか難しいと思いますが、まずは、栃木県で作られたものを栃木県の人に知ってもらうことは大事なこと。地元にいながら、地元の生産物が手に入りにくい、食べられないという意見はとても多いんです。
 そういう理由もあり、栃木県庁では毎月18日に栃木県産の農産物を売る「ふれあい直売所」を開いています。地元の消費者が地元農家を応援することは、地産地消の理解とともに農業への理解も深まり、とても大切なことです。
 私は昨年度農林環境委員会に入り、栃木の農業の現状を知るとともに、「子育てと共通点があるな」と実感しました。動植物を一生懸命育てているその姿は、親が子どもを一生懸命育てているのとまったく同じ。自然災害から守り、病気や外敵から守り、十分な栄養を与え、なによりしっかり目を向け対話しながら育てる。私たちはそうやってできた作物を食べているんですよね。

皮ごと食べればゴミが減ります
 これはエコにもつながる話ですが、ヨーロッパの国では食料のゴミをあまり出さない努力をしています。つまり皮も利用し生ゴミを削減しているのです。日本人はなんでも皮をむいて食べますが、イギリスではジャガイモもニンジンも、リンゴも皮ごと食べます。キャベツのしんまで食べることもありますよ。そういう文化が根付いています。イギリスに住んでいたころ、「なんでうちはこんなに生ゴミが出るんだろう」と思っていましたが、皮まで食べているかどうかが、わが家と隣のゴミの量の違いでした。
 それに、日本のスーパーではきれいに洗った野菜が売られていますが、むこうは農薬を使わずに生産したものを泥つきのままで売っています。それを買ってきて皮ごと食べるんです。皮や葉まで食べるには、慣れだけでなく工夫も必要。例えばダイコンの葉っぱを細かく刻んでいろんな料理に使うとか。
 手間や時間がかかることですが、大切に作られた作物を、丸ごと食べることは自分自身のためでもあり、環境のためにも大切なことなんです。

育児も食事も静かな祈り

桃井真里子のちょっとからくちTALK
育児も食事も静かな祈り

育児は不安との闘いです。こうした方がよかったのか、こうしなかった方がよかったのか、不安だからできることはすべてやってしまおう、と言う親はたくさんいます。過干渉といわれるタイプです。過干渉は、一見子どものために、というお題目があるように見えますが、実は、自分の不安をさっさとなくすためにやっているか、自分の存在価値を自分自身に確認したくてやっているかなので、子どもの自主性は育たないし、子どもからは恨まれ、親も永久に満足感を得られず、良いことは一つもありません。
 一方、不安と向き合わないように不安の発生源を無視しよう、これがネグレクト(養育放棄または怠慢)のタイプです。子どもを育てていると親は自分の足りないところ、問題にいやというほど気づかされます。気づかせる子どもにつらくあたるのが虐(ぎゃく)待です。精いっぱいやっても子どもに問題は生じます。なかなか肩の力は抜けません。抜けないとストレスがたまって、あたる相手は子どもだけ、となります。大家族だったころにはない育児のストレスです。学校の成績とか何かが上手とか、それだけで評価され続けると、育児も自然に自分の力の評価になってしまいます。それが親にとって、大きな心理的ストレスになるのです。 
 「遺伝と環境」という生命科学の大命題があります。三つ子の魂百までというのは、この環境部分が小さいときにはとても大事、という意味です。環境を重視しすぎると、親は必死になりすぎて子どもへの過干渉リスクが増します。遺伝子を重視しすぎると、子どもによい経験をたくさんさせて育てるという大事なことを見逃しそうです。どうも現在の日本社会は極端が増加して、ほどよいバランスが欠けています 
 世界的バイオリニストの親と同じことをしても、それに応える遺伝子がなければ子が世界的バイオリニストになる確率は極めて低く、大部分は子どもに精神的ゆがみを生じて苦しむでしょう。親がすべきことは持って生まれた遺伝子の良い部分が素直に伸びるように、その邪魔をしないように、ゆがませないように見守ることだと思います。伸びる機会を与えることは大事ですが、子どもは自然の生命体。無理はいけません。無理した土壌では植物も育ちません。人間も同じです。育児上の問題を見つけたら親が修正を試みずに早めに専門家に相談することも大事です。無理な修正の努力が逆効果ということはよくあるからです。
 食事は祈り、という文章を見つけました。健やかに、という祈りを込めた食事、という意味でしょう。育児も同じです。どんな子もどうか無事育って欲しいと祈りつつ見守る、それだけで十分だと思います。

親のあり方で子の信頼関係は育つ

井上初代のちょっとからくちTALK
親のあり方で子の信頼関係は育つ

 1、2歳の子どもは、外出先のすべてを初体験として、鋭い感覚で自分の中に意欲的に取り入れようとします。特に、母の他人に対する心のアヤなどは、母とつないだ手やおぶわれた母の背から、敏感に読みとり、母親そっくりの人間関係を学びとります。
 例えば、母親が道で知人とにこやかにあいさつして別れた瞬間、“イヤなヤツ”と不信感を募らせると、そのまま子どもは感じ取り人間不信などを学びとるということです。母親の人間不信は4歳のころまでに、わが子に確実に伝わり育てられていきます。
 さて、この延長線上に親の“先生不信”があります。小学校1年生の授業参観に以前参加したとき、親の態度から先生不信を読みとる機会がありました。授業参観の後、先生を囲んで話を聞く会になりました。先生はクラスづくりや、勉強への期待やあり方などを、子どもたちの発達を踏まえて話していました。親としては一番の関心事だと私は思いました。しかし、先生が話し出したのに親は聞く態度を示さず、半数以上の親は勝手なおしゃべりを親同士で交わして、次第に数を増していきます。先生は「静かに聞いてほしい」と注意を促すのですが、一向に聞く態度にならず、最後まで私語は続きました。先生はあきらめたように、幾人かの話を聞いている母親に視線を合わせて話を進めていきました。
 後で、なぜ先生の話に耳を傾けないのか何人かに聞いてみました。
■先生が話す内容くらいのことは、すでにわかっている。聞くに値しないときめてかかる
■先生の授業より塾でそれ以上の勉強をしているから、先生の教え方など期待しない

 などが多く、先生不信が基底になっているようです。この母親の先生不信は当然子どもの学びに大きく影響すると思われます。先生の話を良く聞いていた母親は、「先生の期待やこの先への予想に共感し、参考にする点を明確にとらえ、先生への信頼を深めた」という感想でした。
 この先生不信による私語の多さは他校でも問題になっているそうです。
 ところで、先生不信と成績不振とが相関関係があるのを知っていますか。小学校の年齢では、「先生が尊敬できる人」「信頼できる人」、つまり先生を大好きで全幅の信頼をよせている子は、先生の期待に応えようとして勉強します。困難なことも自分で克服しようと熱心に学びます。それが勉強好きにつながり、結果として成績も良い方向になるのがこの年齢の発達的な特徴です。先生不信では学ばないのです。
 新学期をよい機会に、“先生不信”を“先生信頼”に大きく舵取りする母親の賢明さが期待されます。次回はそれを考えてみます。

学校もルールを守れない人には罰則を

上野通子のちょっとからくちTALK
学校もルールを守れない人には罰則を

 ルールは、みんなにモラルや常識があれば必要ないものだと思います。ルールがなければ困るというのは、分かっていない人がいるから。最近、自分の常識が社会の非常識であることを分からない人が増えてきたように思います。そのため、「学校や社会にはこういうルールがある」ということを、教える必要がでてきたのではないでしょうか。
 極端な話、人の物を盗んでも『欲しかったから』でとおってしまう世の中になったら大変ですよね。学校のいじめ問題もそうです。「わからなければいいや」と言っていじめる子。いじめられそうになると、自分の意見を主張せずにほかの子のまねをする子。悪いとわかっていながらいじめの仲間に入る子。そういう子が多くなると、子どもたちは正しい意見を言えなくなってしまいます。
 そのような問題を防ぐために、イギリスの一部の学校では厳しいルールをつくっています。例えば、「このお子さんがいじめをしている」という通報が学校側に3回以上あったら、事実関係をしっかりとリサーチして、いじめによる被害が大きい場合は、被害児童・生徒を守るために、加害児童・生徒を退学処分にします。
 また、図書館の本を返却期日以上借りている子に注意をして、それでも返さない場合、授業料と一緒に延長料金として親に請求する学校もあります。後で請求書が届いて親は驚き、子どもを怒ります。「ちゃんと学校のルールを守らないから|」って。そこで親も子も反省します。
 いわゆる罰金ですが、私たちもレンタルした物の返却期限を守れなかったら、延長料金を支払いますよね。それと同じです。日本の学校にはルールはあっても罰は与えないという暗黙の了解がありますが、最低限のルールを守れないことに対する罰則はあって良いと思います。

“これくらい良いのでは”と思わないで
 学校の校則の前に、日本の法律を守る意識も必要ですね。未成年者の禁煙は法律で定められているのに、自分の子どもが喫煙で補導されると、「タバコ一本吸って何が悪い」と怒って学校にクレームをつけるのは非常識なことです。どういう面に対しても、親が“これくらい良いのでは”と思ってしまうと、どんどん楽な方へと流れてしまいます。学校のルールに対してもそうです。
 学校は本来、子どもたちを締めつけるようなルールをつくるべきではないのかもしれません。でも今はいろいろな問題が起きているので、きちんとしたルールを最初から子どもや親に伝えて、最低限守ってもらわないと、学校生活がどこか乱れたものになってしまいます。そこが問題ですね。 

親のあり方で子の信頼関係は育つ(2)

井上初代のちょっとからくちTALK
親のあり方で子の信頼関係は育つ(2)

 ある会合で今回のテーマである“先生不信”を“先生信頼”に舵取りする母親の賢明さが話題になりました。そこでは、子どもに親の先生不信をさとられない方法が話題の中心でした。この過程で今の母親像のひとつがみえてきました。
 つまり、母親は自分は正しいと決めてかかり、人の立場にたって考える力が乏しい。例えば、自分の考えがおしつけがましいとか、相手を傷つけていることに気付かないことが多いなどです。
 したがって、自分をかえりみるのではなく、悟られないようにすることが話題になりました。
 前述のように、子どもは親のまやかし的な言動では受けつけません。つまり、悟られない方法はないというのが意見百出のあとの結論でした。
 先日“美点凝視”とどなたかが語るのをラジオで聞いて共感しました。なるほど、他人のよい点をみつめ直すと今まで気付かなかった相手の長所が見えてくる、“自分が変われば他人も変わる”のではないかということです。今回のことで言うと、悟られない方法を模索するのではなく、心のあり様を“美点凝視”に舵取るほうが賢明だということです。

“ピグマリオン効果”という学説
 この学説はローゼンソール教授らの実験によるものです。
 『可能性を発見する特別テストでわかったことにして、無作為に選んだ何人かの子どもについて担任の先生に、“この子どもは、今後において能力がぐんぐん伸びていく可能性がある”という予想をつけておくと、その子どもの能力が高くなっていく傾向がみられるというのです』(最新保育用語辞典から)。
 例えば、担任の先生が尊敬する大学の先生から、『A男とB子は可能性がある』と架空の話を伝えられ、担任の先生はその可能性を信じ、これまで抱いていた子どもへの見方を変えたことで、A男とB子が期待通りに伸びていったということです。先生の子どもの見方によって、子どもの伸び方が異なることや、可能性を信じることの大切さを示しています。
 先生への美的凝視を心がけた光夫の母親は、ある日学校から帰宅した光夫が“先生っておもしろい。先生大好き、あしたが楽しみ”と珍しく明るくおどけて話すのを聞いて、ハッと悟ったと言います。母親が先生信頼に舵取りした。そしてそれが見えてきたその時、子どももなぜか先生不信を抜けだした言動を見聞きして驚いたとのことです。子どもの将来の可能性を洋々にしたいと願う母親であれば、第一に先生信頼を深めてほしいと思います。
 一方私はいろいろな会合で、「保護者を信頼しないと先生の話を聞かない親が多くなる」と先生方には話しています。

2009年06月26日

vol.1 注目のインプラント治療“その日に歯が入る!”

「All-on-4」最少4本のインプラントですべての歯を固定

虫歯や歯周病、加齢などによって歯を失った場合の治療法として、選択する人が増えている“インプラント治療”。当院でのインプラント患者の8割は女性です。特に、毎日を生き生きと積極的に送っているアクティブエイジ(40代〜60代)の方に注目されています。
 顎の骨にチタン製の人口歯根を埋め込み、その上に人口歯を固定するインプラント治療。自分の歯のように違和感なくしっかり噛め、見た目の美しさも得られる点で、支持を得ています。中でも注目は、4本〜6本のインプラントで上または下全ての人口歯を支える治療法「All︱on︱4(オール・オン・フォー)」。高度な技術と経験が必要ですが、治療期間やコストを抑えられ、何より“インプラントを入れたその日に歯(仮歯)が入る”というメリットがあります。見た目も自然で、軽い食事もできます。

natori_01.jpg

◆患者さんの声◆
 入れ歯に抵抗があり、昨年、上の歯をall-on-4にしました。違和感もなく、固いものも心配なく食べられるのでインプラントにして良かったです。しっかり歯を食いしばれるので、趣味のダイビングやゴルフも満喫しています!
(宇都宮市 Y・F)

多種多様で、初期に自覚症状のない卵巣腫瘍とは

vol.54
できれば6カ月ごとの定期検診を
多種多様で、初期に自覚症状のない卵巣腫瘍とは

 ピンクリボン運動の普及と共に、乳がん検診の受診者は少しずつ上がってきたようです。それと同じように、子宮や卵巣も定期健診が必要。今回は卵巣腫瘍の種類や検査方法、治療などについて、宇都宮市大寛町のうえの医院院長・上野裕さんに教えてもらいました。

 婦人科悪性腫瘍のため2004年度に治療を受けた方の数は、子宮頚癌が8688人、子宮体癌が4524人、卵巣悪性腫瘍が3010人、卵巣の低悪性度腫瘍が775人、と記されています。その中の卵巣腫瘍について取り上げます。

■卵巣腫瘍の8割は良性
卵巣は㈰卵子のもとである細胞(胚細胞) ㈪女性ホルモンを分泌すると共に胚細胞を支える細胞 ㈫表層を覆う細胞、の3種の細胞集団で成り立っています。そして、それぞれの集団からさまざまな腫瘍が発生しますので、卵巣腫瘍は多種多様です。
 ここではできるだけ簡潔化し、良性・悪性の区別を中心に話を進めます。卵巣腫瘍の8割は㈫由来の良性なもので、液体成分が平滑なカプセルに包まれた形態をしていて、通常「卵巣のう腫」と呼ばれています。ただし、カプセルの一部が盛り上がっていたりしますと、悪性の可能性を考慮すべきです。また、子宮筋腫と異なり、初めは良性であっても悪性化する確率が低くありません。
 残りの2割はカプセルに包まれた内容が細胞成分からなるもので、悪性である可能性が高まります。㈰と㈪からの発生が大部分です。良性は卵巣内の病変に限られ、転移や摘出後の再発がないのに対し、悪性では早期に腹腔への浸潤・リンパ節や他臓器への転移を起こします。なお、低悪性度腫瘍とは浸潤性がより緩慢な悪性腫瘍です。
 さて大事な早期診断の話です。卵巣腫瘍はある程度の大きさになるまで無症状のことが多く、定期健診(できれば6カ月ごと!)に頼るほかありません。内診と超音波検査で一時検診を行い、CT・MRI・腫瘍マーカーで精密診断します。
 最後に治療法の原則を。純粋な「のう腫」については直径6?を超えたら摘出手術を考え、そのほかの腫瘍では大きさにこだわらず摘出します。早期に発見された分化度の高い「のう腫性癌」では、病側卵巣摘出のみで完全治癒することもあります。それ以外、術後に化学療法が加わることがほとんどです。

第5回 給食がにがて

 楽しく幼稚園、小学校生活を送れていますか? 最近、「給食が食べられない」という相談が多くなっています。単なるしつけだけでなく、本当に食べることのできないお子さんがいることが、わかってきています。その1つにアスペルガー症候群(高機能自閉症)が考えられています。

[特徴]
 偏食がある。例えば、離乳食のころは何でも食べていたが、3歳ごろから毎日、トンカツ・鶏のから揚げ・白米・うどん・ラーメンしか食べない。そのため「幼稚園や小学校の給食が心配。また外食もままならず、友達や親せきの家に遊びに行けない」と悩むことが。相談しても「体格がいいので様子を見るように」と。また、見た目・調理法を変えても、味覚・触覚(舌)が過敏でわかってしまい、うまくいかないことがほとんどです。
[本人の言い分]
 「食べたことがないものは怖い」、「トマトの赤い色、ピーマンの緑色が嫌い」。嗅覚、触覚にも問題があることが多いので、「においが嫌い」とも、「歯を磨きたくない」と言うことも。
[アスペルガー症候群]
 ㈰社会性の障害(他人とのかかわりでふさわしい行動がとれない)。暗黙のルールがわからない、太っている人に正直に「太っているね」と。同年齢の子どもと遊ぶのが苦手㈪他人とコミュニケーションをとることが苦手。話がよく飛んだり、相手が興味のないことを一方的に話したり、話が回りくどい㈫こだわりが強いなど考えと行動に柔軟性がない。人の名前や誕生日を覚えたり、歴史の年号を覚えたりが得意。また趣味としてカード、車のおもちゃやレシートなどの収集。この症候群には五感(味覚、視覚、聴覚、触覚、嗅覚)の異常が存在することがある。多くは過敏。逆に鈍感(鈍麻)のときもあり、食べ物への無関心から、「うちの子は1度もおいしいと言ったことがない」というお母さんも。
[対策] 
 「早く食べなさい」「全部食べなさい」が最もつらい。反面好きなお菓子を食べたり、コーヒーを飲んだりすると落ち着くことも。また、落ち着くために唇や爪をかむことが多いとも。いずれにせよ、気持ちを理解して対応することが必要です。心当たりのある場合には、受診を勧めます。 

慈しむことと過干渉・過保護は違う

桃井真里子のちょっとからくちTALK
慈しむことと過干渉・過保護は違う

 ある先天異常のお子さんが生まれました。心臓に異常があり、手術をしないと長くは生きられません。 
 肺にいく血流が多すぎて、手術をしないと肺高血圧症という状態になり、呼吸困難で肺炎で死亡したり乳児期を生き延びることも困難です。最近、こういうお子さんに対して、手術を希望しない、というご両親が少しずつ増えてきたような気がします。 
 昔は、「チャパツのお父さん」で描いたように、「いいです、大事に育てます」といったタイプのご両親が多かったのです。 
 人生の最大危機にとまどいながらも、がしっと引き受ける、タイプです。 
 最近は明らかに違います。とまどいつつ、とまどい続ける、あるいは、とまどいから拒絶する、ご両親が増えました。ご両親だけではないのです。若いご両親は何とか育てたいと願っても、祖父母が手術に反対する、例も増えました。苦労は目に見えている、というわけです。若くて人生が見えていない親たちに代わって、予想される苦労を除いてやらねば、という思いからでしょう。
 人生の艱難辛苦(かんなんしんく)をなるべく避けたいのは、誰しも願うことですが、育児もそうなってきた気がします。子どもの苦労はできるだけ取り除いてやりたい、一番楽で安全なルートを付けてやりたい。でもそれだけで良いのだろうか、とストレスに弱い子どもたちを見ると、ため息がでます。
 子どもだけではありません。難関をぐっと引き受けてつらさに耐え抜いた経験がない人がトップに立った悪しき例が政治の世界で連続しました。
 昔、フランスのドゴールという大統領がいました。第二次世界大戦の軍人として闘い、フランス第五共和制の初代大統領になった人物です。身長2m、強権的指導力、などから良くも悪しくもフランスを長らく代表する傑出した人物でした。現在のパリ郊外の国際空港は彼の名を取り、シャルル・ド・ゴール空港と名付けられています。
 その彼は、次女のアンヌをことのほかかわいがっていた事が知られています。重度の知的障害があるアンヌを笑わせることができるのは、大統領だけであったとも書かれるほど、大切に慈しんだといわれます。
 困難を取り除いてもらって育てられた者が困難に打ち勝てるはずもなく、弱き者を慈しめるはずもありませんし、人生に生きがいを見いだすこともできないでしょう。子どもには子どもの人生があり困難があり克服の喜びがあります。それを親が奪った結果の犯罪事件がどこかでありました。
 慈しむことと過干渉・過保護は違う、そう思います。

About 2009年06月

2009年06月にブログ「コラム」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年05月です。

次のアーカイブは2009年07月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35